人間の存在は必然であるという考え方
我々人間が存在しているのは奇跡だ、偶然ではあり得ないと前回の記事では述べた。
しかし、それに反論する考え方が存在する。
それが人間原理だ。
簡単に言ってしまえば、我々人間が存在していることは必然だ、という考え方なのである。
人間原理は「弱い人間原理」「強い人間原理」の2種類に分類される。
弱い人間原理
「弱い人間原理」は、人間がこの時期のこの場所に存在するのは必然だという考え方である。
宇宙は現在136億歳と言われているが、もしこれよりもずっと早い時期だったら宇宙は水素とヘリウムしかない世界で人類は存在できなかった。逆に、もしこれよりもずっと遅い時期だったら多くの星は寿命を迎えてしまい人類は存在できなかった。
また、もし地球がもっと太陽に近かったり太陽から遠かったりしたら人類は存在できなかった。
人類はこの時期、この場所にしか存在できなかったのだ。
強い人間原理
強い人間原理とは、この世界がこんなにもうまくできているのは観測者である人間がいるからだとい考え方である。
もし世界がうまくできていなかった場合は、人間のような知的生命体は存在せず、「なぜこんなにも世界はうまくできているのか」などと考える存在もいない。
「うまくできている」と認識できる人間がいることは必然なのである。
少し分かりにくいかもしれないので、例え話で噛み砕いて説明しよう。
宝くじを1枚買って、1等を当てようとする。
普通に考えてまず不可能だ。そんな偶然が起きるわけがない。
これは「こんなにもうまくできすぎている世界が偶然できるわけがない」という考え方と同じだ。(人間原理ではない考え方)
しかし、実際に宝くじを1枚買っただけで1等を当てた人がいたとする。
その人からすれば、1枚で1等を当てたのだから宝くじは100%当たる、ということになる。
このように実際に当てた人の目線で考えたのが人間原理の考え方だ。
(例えが悪かったら申し訳ない。)
うまくできた世界にたまたま人間が生まれたのではなく、人間が生まれたということはそこはうまくできた世界だ、ということなのだ。
ドレイクの方程式
話は少し変わり、ドレイクの方程式の話をする。
ドレイクの方程式とは、1961年アメリカの天文学者フランク・ドレイクが発表した、「銀河系内の知的生命体の文明の数を推定する式」である。
実際の式は以下の通り。
N = R* × fp × ne × fl × fi × fc × L
変数を1つずつ解説すると、
N→銀河系内において、地球と交信できる知的生命体がここ一年存在する文明の数
R*→銀河系内で一年間に誕生する恒星の数
fp→恒星が惑星を持っている確率
ne→その恒星の惑星系の中で、生命が存在する可能性のある惑星の数
fl→生命が存在する可能性のある惑星で、実際に生命が存在する確率
fi→その生命が知的生命体にまで発達する確率
fc→その知的生命体が他の星と交信できる(信号を発信できる)技術を持つほど発達する確率
L→そのような高度文明が継続する年数
となる。
「ここ一年間において、この銀河系の中にある恒星を回っている惑星の中で、生命が存在できる星に実際に生命が誕生して知的生命体に進化し、星間交信できる技術を持つ」というのをすべて確率や個数にして掛け合わせた、ということ。
では実際に計算してみるとNはいくつになるのか。
もちろんこの方程式はあくまで推定するためのもので、各変数の値が決まっているわけでも答えが決まっているわけでもない。
そのため人それぞれ意見は違うのだが、多くの場合 N >> 1 と算出され、中には数億、数十億という説を唱える学者もいる。
つまり知的生命体は我々人間以外にも存在することが推測されているのだ。
人間原理とドレイクの方程式
ここで鋭い人は気づくかもしれない。
人間原理とドレイクの方程式(により導き出された結果のほとんど)は矛盾しているのだ。
人間原理では、人間を特別な存在としてとらえ、人間がいるからこそ人間に適した世界が存在しているという考え方をすることで、この世界のとてつもない奇跡を解釈した。
つまり人間原理という考え方をするならば、「人間」こそが唯一の知的生命体、観測者である必要がある。
もしこの世界にたくさんの知的生命体がいるのなら、人間原理は崩壊する。
先ほどの宝くじの話で言えば、宝くじを1枚買って1等を当てた人がたくさんいるようなものだ。
確率的にそんなことはあり得ないので、不正をして1等を当てたのでは、と疑うだろう。
これが「上位の存在による介入」に相当する。
どちらが正しいのか
では、人間原理とドレイクの方程式はどちらが正しいのか。
ドレイクの方程式について、もう少し考えなければならないことがある。
ドレイクの方程式が導き出すものは、「ここ一年間において、この銀河系の中にある恒星を回っている惑星の中で、生命が存在できる星に実際に生命が誕生して知的生命体に進化し、星間交信できる技術を持つ」文明の個数であった。
ドレイクの方程式は、「他の知的生命体を人間が確認できる」ことに重きを置いており、「他の知的生命体の存在」について示しているわけではないのだ。
しかし人間原理を否定するためには、ある時期、ある場所にある知的生命体が人間以外に存在していることを示すだけで良い。
「ここ一年間」である必要はなく、「この銀河系の中」である必要もなく、「星間交信ができる技術を持つ」必要もないのだ。
つまり人間原理を否定するためには、ドレイクの方程式からfc(知的生命体が星間交信できる技術を持つ確率)を消し、この宇宙の年齢136億(宇宙の年齢136億歳とする)を掛け、銀河の個数2兆(NASAが発表)を掛けたものが「2」を超えているだけで良い。
この宇宙のいつかどこかに知的生命体が存在しているだけで良いのだから。
しかも、過去〜現在に知的生命体が存在しているかだけでなく、未来に存在していたとしても人間原理は崩壊する(そのときに物理法則などこの世界のありとあらゆるものが変わっているならば別だが)。
このとき、先ほど136億を掛けた部分にこの宇宙の終末までの年数を掛けることになり、まず間違いなく2を下回ることはないだろう。
つまりこの世界に知的生命体が人間だけということはまずあり得ないし、人間原理という考え方でこの世界ができた奇跡を説明しようとするのは間違っているということだ。
やはり上位の存在がこの世界を設計し作ったと考えるべきだ。